どぅるちゃん日記

Prem Durga:Osho Sannyasin 瞑想のあしあと

くつろげる場所

こんにちは、ドゥルガです。

最近、公園に行くことがふえました。

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広い公園なら、のんびり散歩したり、
ときにはクンダリーニ瞑想のようにからだをシェイクしたり、
踊っちゃうこともあります。

意外に「都心部」のほうが、自然ゆたかだったりしますね。

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公園で何をする?

読書したり、おしゃべりしたり、お昼休みのランチだったり…

今までは、そのくらいのことしか思いつかなくて、
結局、手持ちぶたさになってその場をはなれることもありました。

それが晴天のある日、ととのった芝生のある公園で、
ござに横たわったとき、ふとみあげた空。

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あっ、場所わかっちゃうね(笑)

この写真には建物がうつってますが、真下からみあげた空は、ただ、青くて。
その青にすいこまれそうになったとき、わたしはインド・カジュラホの広場で行った瞑想をおもいだしました。

Vigyan Bhairav Tantra スートラ33

雲の向こうの青い空にただ見入ることによって、静寂が。

Osho『第三の眼 タントラ秘法の書3』市民出版社

「ヴィギャン・バイラブ・タントラ」のなかでもわかりやすいスートラですね。

空を見てぼーっとすることは、だれでも経験のあること。
かたちを変え、流れゆく雲のうごきを見守ることもたのしいのですが、
ここで注目すべきは「雲の向こうの青い空」とあること。

雲は有限
空は無限。

無限の空に見入るなかで、なにかが起こることでしょう。

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右側の赤いのは指です(笑)

しかし、たとえ空に雲があったとしても
木々の緑や、そよぐ風、ひだまりのあたたかさ…
それらとただ、ともにいるだけで、
ふと、時間の「すきま」におちいることがあります。

1秒にもみたないわずかな時間。
たとえそれが、何百何千分の1秒ほどのものだとしても
そのしずけさと、そのやすらぎには
人生をまったく変えてしまうちからがある。

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みなさんもぜひ、そんな時をすごせる
お気に入りの場所をさがしてみてくださいね。

冬の公園もまた、空気が凛としていいものです。

Love,
Durga

※『第三の眼 タントラ秘法の書3』は残念ながら絶版ですが、『新瞑想法入門―和尚の瞑想法集大成』に類似の技法「澄みきった青空に入る(スートラ73)」が載っているので、参考にしてみてくださいね。

12月も瞑想会やってます!
今月ラスト2回は年末スペシャル。「Focus on Fire(死の瞑想)」もやりますよ!
詳しくはHPをご覧くださいね。